二宮一円(A壱円券):日本近代紙幣

日本近代紙幣 > 二宮一円(A壱円券)
額面:壹圓
日本銀行券
二宮一円(A壹円券)
図案:二宮尊徳
発行:昭和21年3月、現行紙幣
サイズ:68mm X 124mm
 二宮 尊徳(にのみや そんとく、天明7年7月23日(1787年9月4日) - 安政3年10月20日(1856年11月17日))は、日本の江戸時代後期に「報徳思想」を唱えて農村復興運動を指導した篤農家・思想家。通称は、金次郎。諱の「尊徳」は、正確には「たかのり」と訓む。
 相模国足柄上郡栢山村(現在の神奈川県小田原市栢山)に生まれる。14歳で父利右衛門が死去、2年後には母よしも亡くなり、尊徳は伯父二宮万兵衛の家に預けられた。伯父の家で農業に励むかたわら、荒地を復興させ、また僅かに残った田畑を小作に出すなどして収入の増加を図り、20歳で生家の再興に成功する。この頃までに、身長が6尺(約180センチ強)を超えていたという伝承もある。
 その才を買われ旗本領の仕法を担当し、立て直しに尽力。功あって下野国桜町(現在の栃木県芳賀郡二宮町周辺)の仕法を任せられる。後に東郷陣屋(栃木県真岡市)にあって天領(真岡代官領)の経営を行い成果を上げる。その方法は尊徳仕法として他の範となる。その後、日光山領の仕法を行う。栃木県今市市にて没。
 近代国家の中では勤勉の象徴として修身教育に取り上げられる。小学唱歌にも二宮金次郎という曲がある。国定教科書の中に、薪を背負いながら勉学に励む姿があることから全国の尋常小学校、高等小学校に二宮金次郎像が建てられる。そのとき、大きさが1mとされ、子供たちに1mの長さを実感させるのに一役買ったといわれることがあるが、実際に当時に製作された像はきっかり1mではないことが多い。これは、1940年ごろに量産された特定の像に関する逸話が一人歩きしたものと考えられる。
 二宮尊徳をまつる二宮神社が終焉の地、栃木県今市市や仕法の地、栃木県芳賀郡二宮町などにある。尊徳記念館が神奈川県小田原市栢山にある。栃木県芳賀郡二宮町にも二宮尊徳資料館がある。弟子の大友亀太郎は旧幕府下で札幌村の開拓を指導。亀太郎は札幌開拓の始祖と呼ばれる。
 

 

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