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額面:拾圓
日本銀行券
議事堂十円(A拾円券)
図案:国会議事堂に鳳凰
発行:昭和21年2月、現行紙幣
サイズ:76mm X 140mm
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国会議事堂(こっかいぎじどう)とは、国会が開催される建物。国会議事堂正面からみて左側に衆議院、右側に参議院(旧貴族院)が配置されている。住所は東京都千代田区永田町1丁目。
現在、永田町に立つ国会議事堂は、1936(昭和11)年に竣工した。しかしその建設計画は、明治にまでさかのぼる。1881(明治14)年10月、「国会開設の詔」が発せられ、その4年後に誕生した伊藤博文内閣が1890(明治23)年の開設を目指し、取り組んだのが端緒である。
設計段階から難航した議事堂建設は、財政難を理由に仮議事堂で急場をしのぐとされ、日比谷の内幸町に第1次仮議事堂が建設された。この仮議事堂は第1回帝国議会召集の前日、明治23年11月24日に完成を見た。だが、翌1891(明治24)年1月20日未明に出火、全焼してしまい、昼夜兼行で第2次仮議事堂が再建された(同年10月)。
その後、1894(明治27)年8月に日清戦争が勃発。議会も一時広島に移される時期もあったが、1906(明治39)年、第2次仮議事堂の改修及び本格的な議事堂の建設が決まり、大正に入ってその意匠が公募された。118通の公募作品中、1等は宮内技手であった渡辺福三に決した。それを参考に設計が進められ、1920(大正9)年1月30日、新議事堂建築に当たり、当時の首相・原敬らが参列して、現在と同じ永田町の高台で地鎮祭が行われた。ところが、新議事堂の建設が進む中、関東大震災(1923〔大正12〕年)でも倒壊しなかった第2次仮議事堂が、改修作業中の作業員の不始末で炎上、焼失してしまう(1925〔同14〕年9月18日)。政府は第3次仮議事堂設置を決め、12月の通常議会に間に合うよう、わずか3ヶ月で建設した。
このような苦難を経て、昭和11年11月7日、新議事堂は落成した。時の首相・広田弘毅が雨の中、祝辞を述べた。資材のほとんどを国産に頼り、国家事業として建設された議事堂の総工費は当時の金額で約2600万円、地鎮祭から17年が経っていた。
鉄骨鉄筋コンクリート造で、中央塔屋9階で外装が花崗岩石積みである。すべて純国産で建造されている。延べ床面積53466平方メートル。正面からみて左側に衆議院、右側に参議院(旧貴族院)が配置されている。敷地内には他に衆参両院それぞれの別館・分館が置かれている。
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造、地上3階(中央塔4階)、地下1階
幅:206.36m
奥行き:88.63m
高さ:20.91m(中央塔:65.45m)
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