和気清麿十円三次:日本近代紙幣

日本近代紙幣 > 和気清麿十円三次
額面:拾圓
日本銀行券
和気清麿十円三次
図案:和気清麿(表)と護王神社(裏)
発行:昭和19年11月、廃止:昭和21年3月
サイズ:81mm X 142mm
 和気清麻呂(わけのきよまろ、733年(天平5年) - 799年4月4日(延暦18年2月21日))は奈良時代末期から平安時代初期の高級官僚。備前国藤野郡(現在の岡山県和気町)出身。
 769年(神護景雲3年)、女帝孝謙天皇(称徳天皇)による弓削道鏡の取り立てに絡み、宇佐八幡宮における神託事件で天皇の逆鱗に触れ、別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させられて大隅国(現在の鹿児島県)へ遠島となった。道鏡失脚後、名誉回復されて京に戻されたものの、程なく地方官へと転出されて不遇の時代を過ごす。だが、桓武朝で実務官僚として重用されて高官となった。平安遷都の建設の進言し自ら造営大夫として尽力した。785年(延暦4年)には、神崎川と淀川を直結させる工事を行った。その後、また、大和川を直接大阪湾に注ぐ工事を行ったが失敗した。
 姉の和気広虫(法均尼)は夫・葛城戸主(かつらぎのへぬし)とともに、孤児救済事業で知られる。
 1851年(嘉永4年)、孝明天皇は和気清麻呂の功績を讃えて「護王大明神」の神号を贈った。1874年(明治7年)、神護寺の境内にあった和気清麻呂を祀った廟は護王神社と改称され別格官幣社に列し、1886年(明治19年)、明治天皇の勅命により、神護寺境内から京都御所蛤御門前に遷座した。
 

 

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