一字塔十銭:日本近代紙幣

日本近代紙幣 > 一字塔十銭
額面:拾銭
日本銀行券
一字塔十銭
図案:八紘一字塔
発行:昭和19年11月、廃止:昭和28年12月
サイズ:51mm X 106mm
八紘一宇の塔(宮崎市平和台公園)
「八紘之基柱(あめつちのもとはしら)」が正式名称で、通称「八紘一宇の塔」と呼ばれる。神武天皇が大和に東征するまでの皇居と伝えられる皇宮屋(こうぐや)の北方の丘にある。
 皇紀2600年(神武天皇即位2600年:昭和15年=西暦1940年)の記念事業として昭和14年5月に着工、昭和15年11月に竣工、正面中央には秩父宮殿下の書を拡大した「八紘一字」の文字が刻まれた。基柱の四隅には民族の結束と向上をあらわす篝火台がおかれ、その下には武人・工人・農人・魚人として仮の姿を見せた神霊(荒御魂・和御魂・幸御魂・奇御魂)が配されている。世界各地の石を集めて造られ、高さ37メートルの巨大な塔。
 戦後、塔から「八紘一字」が削られたが、再度、文字と戦士の像を復活させ、何故か平和のシンボルに再生され「平和の塔」と呼ばれている。
 
「八紘一宇」とは日本軍が全世界を侵略し、天皇を頂点とした世界を造るための標語として使われた言葉。全世界(=八紘)を一棟(=一宇)とするという意味。神武天皇の「橿原(かしはら)宮造営の詔」の一節にある「六全(くにのうち)を兼ねて都を開き八紘(あめのした)を掩(おほ)ひて宇(いへ)にせむこと亦可(よ)からずや」からきている。
 八紘=「世界」、宇=「屋根」 であり、「八紘為宇」とは、屋根の下に暮らす家族のごとく、世界は平和であって欲しい。と言う意味になる。
 欧米列強の帝国主義支配に苦しむ、アジア諸国民を搾取から解放し、アジア全体が一つの家族として繁栄しよう というのが大日本帝国のスローガン「八紘一宇」。しかし実際にやったことは、欧米列強と同等かそれ以上の劣悪な統治であったのは歴史が物語っている。なお、一部ではあるが、理想郷建設を目指しす人々もいた。敗戦前には、東南アジア支配地の離反を恐れた軍部が現地人による政府を認める動きもあり、戦後の独立運動に結びついた事実もある。
 

 

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